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2009年10月01日

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日本音楽学会第60回全国大会

10月24日(土)・25日(日)に、大阪大学豊中キャンパスで音楽学会の全国大会があります。大会第1日(24日)の10:25から401教室にて、竹内(D2)が「早坂文雄の《交響的組曲「ユーカラ」》における音楽語法~メシアンの音楽語法との接点をめぐって~」というテーマで発表を行います。興味のある方、都合の良い方は、ぜひお越しください。

(以下、日本音楽学会のサイト http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj4/activity/activity_main.htmlより転載)

第60回全国大会    

1.会期:2009年10月24日(土)・25日(日)
2.開催場所:大阪大学豊中キャンパス(大阪府豊中市待兼山町1-5)
       文系総合研究棟など
アクセス:
◦大阪(阪急梅田)より阪急宝塚線で石橋駅まで約17分、石橋駅より徒歩15分
     
◦新大阪駅より市営御堂筋線(北大阪急行)で千里中央駅まで15分、千里中央より大阪モノレールで柴原駅まで約10分、柴原駅から徒歩10分
     
◦伊丹空港より大阪モノレールで柴原駅まで7分、柴原駅から徒歩10分

2009年度前期ゼミ_まとめ2

7/2(木)には、宮田(M2)によるゼミ発表がありました。テーマは「ラフマニノフのピアノ作品におけるディエス・イレ」というものです。ディエス・イレとは古いグレゴリオ聖歌の名称で、ラフマニノフが好んで引用している聖歌なのですが、このメロディの「使い方」に関する分析を行います。その際、「引用か非引用か」といった区別に加えて、「聴取可能か不可能か」といった別の線引きを行い、ラフマニノフのディエス・イレ引用について音響面からもアプローチしよう、という趣旨の発表でした。

ただし、本人は現在このアプローチを断念しているようです。

2009年度前期ゼミ_まとめ1

数ヶ月ぶりの更新になってしまい、申し訳ありません。前の記事で予告したように、できれば定期的に論文の内容やゼミの様子を報告したかったのですが、諸事情で大幅に遅れてしまいました。ともかく、どういうものを読んでいたのかを、紹介させていただきます。

我々は前期のゼミで、次の論文を読んでいました。

Cook, Nicholas. 2008. We Are All (Ethno)musicologists Now. In The new (ethno)musicologies, ed. Henry Stobart, 48-70. Lanham, Maryland: The Scarecrow Press.

この論文では、70年代以降の音楽学の動向が大まかに記述されていると共に、今後の音楽学がどのようになってくのか、あるいは、どうあるべきかが示されています。

筆者によると、近年の音楽研究では「民族音楽学の方法を西洋音楽に応用する」というやり方が、一種のスタンダードになっています。たとえば、民族音楽学者がコンサートや音楽学校の伝統についての研究をしたり、音楽学者が民族音楽学の方法を用いて、グレゴリオ聖歌の研究をしたりしています。

このことは、旧来的な音楽学/民族音楽学、という区分の周辺で起きている単なるノイズではなく、音楽研究そのものの方向を決定するような一つの流れを表しています。筆者は二つの領域の近接性を示す一つの例として、ニューミュージコロジーに着目します。

ニューミュージコロジストと呼ばれる人々は、とりわけ旧来の音楽学的方法に対して批判的な立場を取り、単なる楽曲分析や純音楽史的な考察を超え、社会的な「意味」を求めるような方向に舵を切りました。このことは、「芸術のための芸術」といった観念から脱し、社会や共同体の文脈の一部として音楽を捉えるという点で、民族音楽学の方法に近づいています。

ニューミュージコロジーと民族音楽学が融合しつつある、という見方には反対意見もあります。筆者はその例として、StockによるMcClary批判を挙げています。Stockはおおよそ、「McCalry=ニューミュージコロジーは、旧来的な作家主義や権威主義を受け継いでおり、本質的には旧音楽学の焼き直しである」といった批判を行い、民族音楽学との間に一線を引いています。これに対して筆者は、そもそも音楽学(ニューミュージコロジー)/民族音楽学、という区分の立て方自体が無意味で無効である、といった反論を展開します。

筆者の主張によると、音楽学と民族音楽学はそれほど本質的に異なる分野ではない、ということになります。確かに音楽学は、「作曲家の意図にさかのぼる」といった考え方を主流としていましたが、初期の民族音楽学もそれと近い面がありました(ただし、離脱が早かった)。またそこから「音楽の社会的意味」を求めるようになり、さらに社会的意味の生成も含めた「(音楽的行為全般としての)パフォーマンス」を研究するような立場へ移行するという点で、両者は相似形の歴史を持っていると考えられます(そこでは音楽=Music=楽譜がパフォーマンスの一部として捉えられます)。

この意味論からパフォーマンス論への転回(あるいは展開)という流れは、具体的に言うと、音楽学においてはアドルノからニューミュージコロジーへ、民族音楽学においてはメリアムからティモシー・ライス(とライスが参照している民族音楽学者)へ、というプロセスを辿って、最終的に同じゴールに辿り着くストーリーとして説明されています。

もちろん、両者の歴史には異なる面もあり、実際問題として、ある時期以降の音楽学が民族音楽学を理論的に追従しながら発展してきたという面は否定できないのですが、それらは、両者を全く別の物として切り分ける根拠となるほど決定的な差ではない、と筆者は考えます。なぜなら、トータルとして見れば、両者は同じような課題に突き当たり、同じような結論を出し、同じようにクロスオーバーする方へと進んできたからです。

このように、研究方法でも研究対象でも区別がつかないという現状においては、両者を何らかのカテゴリで区別すること自体が不合理です。そこで筆者はShelmeyの言葉を借りて、これからの両学問の向かう先として「広義の音楽研究」を提唱しています。そこでは旧来の様々な音楽研究分野は、(音楽心理学、音楽社会学、音楽理論等も含めて)「パフォーマンス研究」のためのツールとして統合されます。

「広義の音楽研究」のスタンスは、旧来の音楽学のようにインサイダー(作曲家の意図の理解者、正統後継者)として語る立場でもなければ、民族音楽学のようにアウトサイダー(客観的な観察者)として語る立場でもありません。ある面ではインサイダーであり、同時に別の面ではアウトサイダーであるという自分自身の両義的立場を前提としてものを語るような新しい立ち位置です。このことは、我々がもはやインサイダーでもアウトサイダーでも居られなくなったという、社会的構造や「知」の変化を反映しています。

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